サッカー: 2006年7月アーカイブ

はじめはナショナルチーム引退だと思っていたのですが、現役引退と聞いて驚いています。

私が欧州サッカーを観るようになったとき、彼はベルマーレ平塚で活躍していました。当時のベルマーレはJリーグでも一風変わったチームで、次のサッカー戦術のトレンドであるプレスからの速攻で攻め勝つスタイルを取り入れて、Jリーグ昇格から間もないチームでありながら上位に進出していたのを覚えています。
そして、それとほぼ同時期に日本代表として、フランスワールドカップのアジア代表権をかけて戦う彼の姿は当時とてもセンセーショナルなものでした。当初は前園聖の代役として召集されていた彼ですが、ジョホールバルでのアジア第三代表決定戦では、当時の日本サッカー界で神聖不可侵とも言うべき三浦カズからパイオニアの座を奪い取り見事日本をワールドカップに導いたゲームは、日本サッカー界のターニングポイントであり、プレイ内容と共にそのゲームの意義においても彼のキャリア最高のゲームだったと思います。
フランスワールドカップは参加することに意義のある大会でしたが、その後の4年間はプレイヤーとしての彼が飛躍した期間でした。ペルージャ開幕戦のユーヴェ戦で2発は、日出る国のジョカトーレが当時は世界最強リーグであったセリエAで戦ってゆけることを知らしめたという意味があります。特にペルージャでの2シーズン目は、ペルージャ事体が彼中心のチームとなり非常に高いプレイクオリティを披露していました。おそらく、彼の一回目のピークはここなんじゃないかなぁとおもいます。その後のローマ、パルマ時代も、確かにすばらしいプレイは随所に見せていましたが、ローマでは出場機会、パルマでは攻撃陣を形成していたアドリアーノ、ムトゥとフィットせず、最高とは言い難いものがありました。その後輝きを取り戻したのはペルージャ時代の監督であるマッツォーネ率いるボローニャにレンタル移籍したときで、パルマ時代より下がり目のポジションからゲームを支配する姿は、プレイの幅を広げた2回目のピークでしたが、そのプレイ期間はあまりに短く、その後は彼の活躍をクラブシーンでみることはほとんどありませんでした。特に私は、ペルージャ時代には積極的にしかけていた縦方向への強引な突破が、フィオに移籍以降全くみられなくなってしまったことが残念でなりませんでした。
日本代表での活動に関しては十分に報道されているのでこれといった感想は無いのですが、最後まで日本代表のメンバーは技術ではなく、メンタリティと志において彼と対等のレベルに到達できていなかったというのが実際のところではないでしょうか。
サッカー選手として、彼と同等以上のパフォーマンスを持った選手はたくさんいますし、日本にも近い将来、そういう選手が出てくることでしょう。しかしながら、引退する次点まで彼は日本最強のプレイヤーであり、過去10年、日本サッカー界に与えたモノは大いに賞賛されるべきものだと思います。いちサッカーファンとして、贔屓のプレイヤーが引退してしまったことはとても残念ですが、高い知性と語学能力を持つ彼が、次にどのようなことをするのか、とても興味があります。

そういえば・・・

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ブラジル、アルゼンチンが消えて、ワールドカップがいつのまにかEuro2006になってる・・・

ド本命のブラジルはこけそうな予感があったものの、まさかアルゼンチンがホームとはいえ独逸に負けるとは思いませんでした。勝ち上がってきているチームは独逸以外スれたチームばかりで、搦め手もお手の物といった「巧さ」で勝負し勝ち上がってきています。独逸の次の相手はその最たるチームであるイタリアなので、とても面白いゲームになるとは思いますが、イタリアは過去の対戦成績だと独逸をカモにしているので、一方的な展開も考えられそうです。

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