2007年3月アーカイブ

世代と倫理

user-pic
0

 先週のAERAのトップ、「学校の裏サイト」を特集した記事を読みました。なんでも、生徒間のケータイのみでURLがやり取りされている掲示板があり、そこには生徒の実名を記した匿名の投稿や盗撮画像がガンガンUPされ、プライバシーの問題を超えて人権侵害にも近いやりとりが為されているそうです。
 匿名投稿、子供の遊びでは断じて済まされないレベルの問題だと感じました。まだアイデンティティの確立もされてない子供が、正体のわからない悪意に晒されること。想像するだけで恐ろしく、現役当時の自分がそんな悪意に晒されることを考えても、耐えることはまずもって不可能でしょう。そして、より恐ろしいのは匿名による個人攻撃という醜悪な行為を、なんの気無しに行える環境を現役中高生が誰しも持っていること、これに尽きます。
 手段が簡単で、しかも自分でよほど無警戒でもない限り個人を特定されないのであれば、動機はどうであれ当事者は行為そのものの重みを知ることはできないでしょう。反面、客観的に見れば他の生徒匿名でを貶める行為は極めて醜く重いものであり、さらに対象の個人からすれば、やり場の無い怒りと底知れぬ恐怖に身を焼かれることになります。学校という幼い村社会で、この手の行為が野放図にされることは、本人たちにとっても社会全体にとってもマイナス要因にしか成り得ませんが、これらの対策に躍起になっているのは携帯キャリアであって、学校はともかく行政が動く気配はありません。携帯キャリアが躍起になるのは運営上のリスクから考えて当然だとは思いますし、学校側も特に私立であれば同様の運営上のリスクであることから何らかの対策を施すことでしょう。しかし行政は、どうでしょう。昨今の教育現場におけるいじめ問題や教師の倫理観の問題に対する姿勢からするに、よほど大事にならないことには調査すら行わないのではないかと思います。
 一方で、この問題への対策はさほど難しいこととは思いません。とどのつまり、罪の重さを知らない者に対して相応の報いを与えるだけで良く、軽犯罪に対する罰則強化と同じ道理にて対策可能なものだと考えられます。携帯キャリアが行っている携帯からのアクセス制限などパッシブな対策は地道なれど有効な手段ですが、抜本的とは言い難いものであり、それらは積極的な取締りと併用されて大きな効力となる性質のものでしょう。教育委員会の権限を強め、授業妨害やいじめに対する罰則を強化する方針はほぼ決まったようですが、その適用範囲をどこまでひろげるか、見えざる匿名の刃に迫れるか、興味深いものがあります。先には調査すら行わないのではないかと述べましたが、行政が方針だけではなく速やかに強化した罰則を適用し、また青少年犯罪の温床の芽を摘むに至るのであれば、これは大いに賞賛されるべき事柄となるでしょう。
 特に接点の無い現役中高生世代の話題が気になったかというのも、昨今の青少年犯罪や教育の報道を見かけるたびに、同情的な気分を禁じえないからというのが最大の理由です。少なくとも、10年前はここまで酷くなかった。いじめや少年犯罪が無かったわけではなく、社会問題として取り上げられることも少なくなかったですが、眩暈がするような醜悪さ、おぞましいと思えるような事柄はまずありませんでした。どちらかというと、無機質、無関心、ドライな人間性に対する批判の方が多かったかなと記憶しています。その延長線上に普段の生活からも実感をともなって感じる現役中高生のモラルの低下があるとするならば、ここらへんで歯止めをかけないことには確実に社会全体へ悪影響が波及してしまいます。なにせ国家の根幹の一つである教育における問題な訳ですから、問題は必ず次の世代に引き継がれ、社会全体の病となることでしょう。思うに、努力は報われ悪事は報いを受ける、正しい因果の巡る社会システムの構築が急務ではないでしょうか。(ここらへんの感覚では、安部総理の意見は共感し得るものがありますが・・・ 相変わらずぱっとしませんね)

 あと数年もすれば、彼らも現役世代になるわけで当然一緒に働くわけですが、それを考えるとモラルの低下は怖いような気がしてくるものの、私たちの世代が現役となったときも同じように上の世代は恐怖をおぼえていたようです。そして今となってはいつのまにか溶け込んでしまっていることを考えると、この問題はあまり深刻に考えても仕方の無いことなのかもしれません。
 ちなみに、表紙が蒼井優だったから読んでみたというわけではありません!(でも、インタビューは読みました)

Dance with Wolves

user-pic
0

070325.jpg
死ぬ前にやるべきことリストのひとつ、「Dance with Wolvesをもう一度見直す」という項目を消化しました。
この作品は幼少(っつっても小学生の高学年だったかな・・・)の時に観たのですが、あまりの長さに途中寝たり離席したりで抜けてるシーンが沢山あったものの、ネイティブアメリカンに強い憧れを抱いたことだけは覚えていました。で、いつかは見直して、当時の自分は何にそこまでリスペクトされたのだろうかというのを探るというのが目的の一つです。
映画自体は、アカデミー賞を何部門も受賞した作品なので手放しに絶賛!というわけではなく、長いし、中だるみもあるし、起伏があんまり無い作品ですが、それでも各所に美しいカットがあり、私はまぁまぁおもしろいと思いました。ちょうど物語の中盤までは、かなり面白い作品なのですが、その後の中だるみの長さに辟易ぎみになるのは、長い映画だけにまぁしょうがないかなぁと思わないでもないです。

 幼少の私がリスペクトされたシーンは確定できませんでしたが、多分、狼と戯れるケビン・コスナーと、馬のシスコが戻ってくるところ、幼稚園児時代に「大草原の小さな家」をよくTVでみていたせいで、ああいう暮らしに妙なほど憧れがあったことが記憶の原因のように思われました。
 いろいろと観るべき点の多い映画だとは思いますが、長いのと、盛り上がらない点などからあまり強くオススメできる映画ではありませんでした。
 最後に・・・自分にネイティブネームをつけるならなにになるのかな~と思ったときの第一想起は「家に篭る羊」でした。家に篭るのは週末だけとはいえ、相当情け無い名前です。

お財布ケータイ

user-pic
0

仕事でお財布ケータイ絡みのものが増えてきました。
その上で思ったこと。お財布ケータイという「モノ」は知っていても、実際には使ったことが無い人、持っているけれどもシステムを理解していない人が圧倒的に多いということです。私も仕事で使う必要が無ければ、果たしてシステムを理解できたかどうか怪しいものですが・・・

 一番勘違いが多いパターンは、お財布ケータイ対応の看板が出ている店舗なら、お財布ケータイで支払いができる!というものです。日本語としては正しいと思いますし、支払いできるパターンも当然ありますが、「お財布ケータイには何種類(iD、クイックペイ、スマートプラス、Edy、Suica など)もあるので、携帯にインストールされていないものに関しては支払いができません。
知っている人にとっては、「何をいまさら当たり前のことを」と思われるかもしれませんが、この事実を私は今週何回説明したことか・・・

 その中でも特に多いパターンは、
客「お財布ケータイなのに、Docomoのお財布ケータイで決済できないのですか!?」
猫「Docomoだろーが、auだろーが、Felica対応のケータイならスマートプラスのアプリをインストールすれば使えますよ」
客「でもさっきは使えないとか言ってたじゃないですか」
猫「そりゃ、iDは対応してないから使えませんってば・・・」
客「ほら!やっぱりDocomoのお財布ケータイは使えないだろーが!」
猫「i-modeでスマートプラスのアプリをインストールしろっつってんだろ!」
(かなり要約してます)

 とどのつまり、Docomoのお財布ケータイ=iD だと思っているユーザーが非常に多いわけです。auユーザーはその辺がわかっている人が多いようですが、お財布ケータイ機能そのものを使っている人が少ないかなぁという印象があります。九州地方、特に熊本はココストア、エブリワン系列とローソン、一部のファミマがiDに対応しているので、コンビニをよく利用するならiDが便利だとおもいますが、セブンイレブンは独自の企画「nanaco」を今年中?に投入してくるので、利用するのはもうちょっと落ち着いてからでいいんじゃないかなというのが正直なところです。関東でJRを通勤などで利用しているならモバイルSuicaは便利だと思います。ですが、そもそもこれらが利用している「Felica(通称タイプC)」のセキュリティの低さ、安定性の低さが取りざたされていることにも注意が必用で、Visa、Masterの両雄がタイプCのセキュリティレベルの低さを懸念してFelica対応を渋っていたという話もあるとか無いとか。

 とにかく、よほど新しいもの好きでもない限りは今のところ様子見をオススメします。あと何年かすれば、店舗のリーダーの改良と自然淘汰の法則で趨勢が見えてくるはずです。とにかくどこの業界であれ、自社の規格をデファクトスタンダードにしてしまいたいという思惑があるので、黎明期には規格が乱立するのは世の常だとは思いますが、おサイフケータイに関してはおそらく手間の割に薄利なことが予想されます。おとなしくみんなでパイを等分し、セキュリティ面で補完しあいながら高度で便利なシステムを構築し、電子決済の信頼性を高めることが結局は一番の利益(というか損しない)になると思いますし、この程度の理屈が企業にわからないはずがないのですが、デファクトスタンダードの果実はそれほどまでに甘いということなのでしょうか。ともかく、おサイフケータイはシステム面で面倒な割に今のところは大して便利ではなく、まだまだ先のサービスだというのが私の結論です。

マッハ

user-pic
0

070321.jpg
一時期話題になったタイのアクション映画、マッハを観ました。
田舎のお寺のムエタイ使いが盗まれた仏像の頭を取り返しに行くという話しなのですが・・・
なんであんなに話題になったのか、観終わってもよく解らなかったです。格闘以外のアクションシーンはなんというか・・・ダイナマイト刑事のカットインアクションと同じノリなのですが、おなじようなのが何度も続き、凄いアクションでも見せ物的な演出が多くてなんだかイマイチです。格闘シーンも、場末のバーの乱闘を観ても楽しくないわけで、有り体に言えばつまらなかったです。

 この映画を観て強く思ったことは、タイの映画は中国や台湾の映画に似ているのかなぁということです。特にそう感じたのは、駄目男が出てきて足手まといになりながらも時折人情を見せたりして、最後には壮絶に死んだり大失敗したり、JOJOでいうところの「リタイア」になる表現です。日本の映画にはあまりこういうキャラクターは出てきませんが、ちょっと思い出すだけでもイニシャルDの実写映画版(あまりに酷くて5分で観るのやめちゃった)や、少林サッカーなどにも該当するキャラクタが出てきます。どういう意図なのかはわかりませんが、この手のキャラに嫌悪感がある人は、アジア映画は選んで観ないと毎度つまらないものを引くことになることでしょう。

070318.jpg
筆者のデビッドさんはニュースステーションで海外リポーターをやっていた人で、私も微かながら記憶に残っています。テレ朝時代に書いた「いちげんさん」という作品で芥川賞の候補にもなり、リーマンしながら執筆活動にて副収入を得る。まさに私の理想を体現した偉人です。
 この本は、放浪癖のあるデビッドさんが就職前やテレ朝の取材で旅した記録をエッセイにまとめたものなのです。アラスカの地の果て、フィンランドの雪原、タイの密林、さまざまなところを訪れていますが、私が特に気に入っているお話はフィンランドの雪原でトナカイと暮らすノマドの話で、かつて羊飼いに憧れていた者にとってはとても興味をそそられるものでした。
 トナカイの大移動とともに季節によって住処を代えるのはともかく、モンゴルのノマドとは違いちゃんと家をもち、スノーモービルで群をコントロールし、軍艦で海を渡るあたりがイメージと大分違っていましたが、投げ縄やトナカイ犬、そして群の中から一匹つかまえて夕飯にする生活はイメージどおりの遊牧民でした。文明を受け入れながら自然と調和する生き方には、とてもつよい憧憬の念を抱きます。私もひと財産をつくったら、是非とも片田舎で漁とか畜産とか農業とかしながら生活できればなぁと思わないでもないのですが、今のペースでは早期リタイアはなかなか難しそうな現実があります。
 デビットさんも作中で語っていますが、自然と調和した生き方というのは簡単にできることではないからこそ、旅をすることによる一時の自然とのふれあいを求めてしまうのはごく自然な欲求だと思います。その上こういう本を読んだ後なので、思わず昔、日曜日の朝にTVでやっていた「遠くへゆきたい」のテーマ曲を口ずさんで旅に思いを馳せるのですが、思い立ったところで「必用」の無い事柄に関してはなかなか行動に移さない私の生来の性は、放浪の旅よりも穏やかな週末を選択してしまうわけです。

070315.jpg
まさか、三月の半ばに熊本で雪山遭難するとは思いませんでした・・・
今日は大分に仕事へ行って、16時頃からぼちぼち熊本に帰ろうとしたところ、道路交通情報にアラートが出ているのをちらっと見かけました。たしかに大雨が降ってるし、どこか山道が通れなくなったかな~くらいの軽い考えで高速を使って鳥栖経由のルートを選択したのですが、別府=日出 が雪の為に通行止めになっていました。(ちなみに大分はとても雪が降るような気温ではなかったので、本当に何かの冗談だとおもっていました)
 仕方が無く、大分米良まで戻って10号線>57号線のルートで帰ろうとしたところ、竹田を抜けたあたりから路肩に雪が積もりはじめ、波野で完全に路面凍結。(この時点でやっと雪が冗談ではなかったことがわかりました)それでもチェーンをはめつつのろのろと西へ進んだのですが、57号線最大の難所である滝室坂が完全通行止め。そのあおりで10キロ以上の渋滞で行くも退くもできない状況になりさぁたいへん。
 念のために状況を上司に報告すると、市内では多少雨が降っただけの天候だったらしく雪山遭難の事実を何かの冗談だと勘違いする始末。まぁ・・・私も大分で降雪通行止めの案内を何かの冗談だと思ったわけですが。

 結局、滝室坂にはラッセル車と凍結防止剤散布車が投入され通れるようになったのが22時頃。その間、タイヤスタックした車を押したり、チェーンまで凍結して動けなくなったところを助けてもらったり、いろいろなトラブルがありました。
 なんとか乗り越えてやっとこさ滝室坂を突破したときは、自然に対する畏怖と理不尽な仕打ちに対する憤りでなんとも複雑な心境だったものの、それなりの満足感や達成感もありました。日々の生活の中で何度もこんな目に遭うのは勘弁ですが、たまにこんなプチ冒険があるのもそんなに悪くないかもしれません。無論、無事に帰ってこられたから言えることなのですけれども。

毛蟹

user-pic
0

070311.jpg
 私はカニが好きなことを公言して憚らないカニスキ~ですが、ふと記憶をたどってみると、毛蟹をしっかり食べた記憶が無いことに気が付きました。タラバやズワイや松葉はここ数年の間に食べた記憶がはっきりしているのですから、ターゲットは毛蟹です。

 そもそも毛蟹を食べていないことに気が付いたのは、仕事中に客先でカニの食べ方について雑談をしていたとき、毛蟹はボイルしたのをそのままいただくのが一番美味しい&メジャーな食べ方だということを知らなかったことに端を発します。私はてっきりカニ=鍋にしていただくのが最強だと思い込んでいたのですが、毛蟹に関しては下手な味付け一切不要というのが常識らしく、事実、ネットで調べてみるとボイル毛蟹のさばき方はいくらでも見つかります。

 カニスキーを自称しているのに毛蟹の食べ方もしらないというのは、ある意味許され難いことであると考えます。もうシーズンは過ぎてしまったらしいのですが、必ず今年中にボイル毛蟹を丸1匹、綺麗にさばいて食べることを目標の一つに加えようと思います。経験上、カニというのは自ら欲して食べにいかないことには意外なほど遭遇しない食べ物の一つです。しかも毛蟹ともなれば、飲み屋や忘年会でも自分で幹事でもして店を厳選しなければどこででも食べられるというわけではありません。本来ならば北海道にでも出向いて食べるのが本懐なのでしょうが、そこはそれ、生来出不精の人間に高いハードルは目前におかず、地元で食べられる店を探すか、最悪通販を利用するというのが手堅く賢い選択と言えるでしょう。至高のカニ、毛蟹。邂逅の時はいつになることやら。

070310.jpg
この本は、熊本県の地域冊子で紹介させていたのを何かで見かけ、その直後に県立図書館でばったり出くわしてしまった曰く付きです。特に運命や何かの予兆を感じたというわけではありませんが、偶然の出会いは本でも人でも大切にしようということで借りてみました。

 著者は最近まで熊本県の副知事を務めていた方だそうで、熊本での生活の記念に書かれたとのことです。記念に執筆とはなかなか粋なことをする人がいるものだなぁと思いましたが、熊本県というより砥用の日本一の石段を舞台としたお話で、あまり記念色が強くなくかえって好感がもてます。
 内容は、家庭崩壊に瀕した父と子が日本一の石段を登りながら己が半生を振り返るというもので、有り体に言って石段に上ると言う奇特な行動以外はそこらじゅうにありふれている話と言えるのですが、ステレオタイプな父と引きこもり小僧はともかくとして、突き抜けた信念を持った母の思い込みの激しさと意思の強さがそこらのものとは違う点でしょう。死期を悟って(しかも勘違い)断食を行い、餓死することを選択する主婦は現実にはともかく、お話の中にもなかなか遭遇できません。

 この本はお話として面白いわけでもためになるわけでもないのですが、砥用の日本一の石段(3333段)に挑戦する前に読むと、それなりの覚悟を決めて挑まないと危ないよ!という物語の主筋とはあまり関係の無いところに読む意義を見出しました。熊本に住んでいる以上、一度くらいは日本一の石段にチャレンジしてみたいと思っていたのを久々に思い出しそのうちいってみようかなぁという気にはなったのですが、日本一の石段に興味の無い人にとってこの本は退屈極まり無いものでしょう。

070304.jpg
久しぶりに宮部みゆきさんの作品です。たまたま手持ちの本が尽きたときに行きがけBookoffの100円コーナーで見つけました。

わたしの中での宮部みゆきさんの作品イメージは物語の加速のつけ方が絶妙で、序盤はのんびりしているのに中盤から徐々に加速がついてゆき最後はもう超高速で突き抜けるといった感じ。中途半端なところで止められない面白さが最大の魅力だと思っています。「龍は眠る」も多分に漏れず、中盤以降は取るもの手につかず、貴重な日曜日をかっつり消費してしまいました。

この作品はサイキッカーという要素が出てくるので、ミステリーや推理小説の中でもリアリティ志向とは違う娯楽性の要素を多分に含んでいることから好みは分かれるのかなぁと思わないでもないのですが、少なくとも私はちょっとした読書にうってつけで高評価してます。今まで読んだ「魔術はささやく」と「火車」、どちらも面白かったのですが、この作品もその二つとまったく同じ評価、点数をつけるなら100点満点でも同点になります(78点くらい?)。その要因は物語の基本的な組み立て方を同じくしているからだと思うので、楽しく読むためには連続して宮部みゆきさんの作品を読まないことがコツなのかなぁというのが私の考えです。そして多分、そういうふうに感じた人は少なくないでしょう。

このアーカイブについて

このページには、2007年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年2月です。

次のアーカイブは2007年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ