東野圭吾 「さまよう刃」

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映画も観に行きたいなぁとおもっていた「さまよう刃」ですが、原作が東野圭吾さんとくれば、先に本を読まなきゃね!ということで、日帰り出張のお供に購入したわけですが・・・

大失敗でした! こんなもの途中まで読んだら仕事が手につかなくなるに決まってるっつーの!

この物語は、ある偉大なる女中さんの言葉を借りるならば、「全ての不義に鉄槌を!」というお話ですが、ディティールがあまりに生々しいのでもの凄くおぞましい気分になります。もう、ネタバレもなんもかんも無い、ストーリーはあらすじを読むだけでまったくその通り、結末もまぁ、普通に読み進めていれば殆どの人が予想できるものであったと思います。しかし!先述したとおりストーリーの生々しさが尋常ではなく、少年法絡みで誰もが疑問に思っていてもあんまり触りたくないなぁという部分を丹念に塩をぬりったぐったような作風は、暗澹たる気分になりながらも決してページをめくる手が止まらないという、自分でもなんで?と思う程引き込まれた作品でした。

有り体に言ってしまえば凄惨かつ冷静で理知的な復讐劇とかめっちゃ好みのストーリーで、やり場のない激情を内に秘めながら冷静に事を運び目的を果たすなんてストライクゾーンど真ん中なわけですが、かといってこの作品は「復讐」そのものがテーマではなく、物理的にはやり場があっても法治国家という観念ではやり場がまるで無いという生殺しのような感情を描いた作品だと感じました。きっと殆どの人が主人公の長峰さんの行動は消極的肯定するとおもいますし、是非とも仇討ちを成功させてやりたいわけですが、でも理性であったり公衆道徳を考慮すると、たちまち立場が逆転してしまう、理性と感情の境界線を揺蕩う問題だからこそ強烈に惹きつけられてしまうのでしょう。自分自身を当事者に照らし合わせて自問すると、おそらく誰もが「当事者になってしまったら判らない」という回答になるのが自明だからこそ、長峰さんの行動から目が離せなくなってしまうのだと結論づけました。

とりあえず、原作を読んだので映画はDVDがでるまでスルーでOKかなと。むしろ私と同じように、この本読んだ後にビジュアル付きでこのストーリーを観たいと思わない人も大勢いるのではないかと思います。映像化にあたり多少はマイルドな表現になっていることでしょうが、寺尾さんが長峰の役(このキャストには超納得)をやったら、とんでもないことになっていることは想像に難く無いわけで・・・ いずれ観るとは思いますが、観るのが恐い、そんな気分にさせられる作品でした。

相変わらずというべきか、東野圭吾さんの他の作品と同じように「容赦無し」なので、苦手な人は手をつけない方が良いかと思います。他の作品よりも確実に気分は悪くなるので、東野圭吾さんの他の作品を読んでから手をつけたほうが良いのでは?という作品ですが、他の作品を読んで面白いと思うならば迷うことなくGOです。

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このページは、が2009年10月29日 00:21に書いたブログ記事です。

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