博士の愛した数学

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久々のスマッシュヒットです。
まだ手をつけていなかったのが不思議だったのですが、BookOffで100円だったので読んでみたところ、強い共感を覚えるストーリーでした。
読んだ方しか理解できないことは承知ですが、何を隠そう私も n(n+1)/2 の衝撃と感動を知る者です。小学校の5年か6年か忘れましたが、1から100までの和を求める問題で(1+100)x100x1/2 という解き方を知ったときは、なんだかこれだけですごく賢くなったような気分を味わいました。
今でこそ数学は面白かったと思えるのですが、学生時分で楽しかったと思えるのはせいぜい数IIとbまででしょう。当時クラスメイトの3割ほどは既に数学が苦痛以外の何者でもなくなっていたことから、なかなかよく我慢した方だとおもっています。しかしながら、オイラー数(ネイピア数)e 虚数単位i そして大学に入ってからそれらにまつわる(+クソッタレの三角関数)重積分のおかげで、十台の最後にはすっかり楽しくなくなってしまいました。その後、フーリエさんとラプラスさん、そして線形な関数やマトリクスのおかげで、ちょっとだけ復活したのですが、解析分野に関しては日常使うことが無くても苦手意識がいまだにあります。
それはさておき、この本が数学的な本であるかというとそうではなく、むしろごく一般的な文学なのですが、じゃあなぜ数学なのかというと、「数学=とっつきにくさ」のシンボルなのだと思います。最終的には偏見をなくすことで世界を広げることができるというところに行き着くのですが、自然を愛でるのも数式を愛でるのもその精神性に差は無いように思えるようになりました。ただし、目に見える自然よりも、思索のなかで広がりつづける数式の方が遥かに対象として認識しづらく、万人向けではないとは思いますが。

ここからは本の感想ではないのですが、社会人になってから数学について思うところをすこし。
高校生から大学生で数学を学ぶことを強いられている人の一般的な愚痴の例として「微分方程式が解けたからといって、社会で何の役に立つんだ・・・」というのがあります。私も当時はまったく同じ事を思ったことも当然あります。で、実際に高等数学が何かの役にたつかというと・・・直接的にはまず役にたちません。もちろん例外もありますが。しかしながら、数学は論理的思索の広げ方の訓練にはうってつけだということと、実際に式を組み立てたり解いたりすることができなくても、その式が何を表しているのか、どういう理論に基づいているのかということをそれなりに知っていると、意外なところで役に立つこともしばしばあるみたいです。少なくともわたしは少なからずありました。
今でも気が向いたときは数学史などといっしょに復習をすることもありますが、一番大切なことは難しそうな数式を見ただけで自分には理解できないと投げてしまわないようにすることだと思います。ちょっと考えてみれば解るのに、先入観から思考停止してしまう人と、そこからちょっとだけ考えたり調べたりすることができる人の差というのは年齢を追うごとに広がる一方であり、数学はそのちょっとの差の水分点の有力な一つであると私は考えます。活字に慣れていない人が膨大な資料を見ただけでハングアップしてしまうのと感覚としては似ていますが、活字ほどには致命的ではないけれども、見えないところで差が出る箇所なのではないでしょうか。
経済学部や商学部が数学無しで卒業できるケースがあるということに時代錯誤を感じる今日この頃ですが、根源的には数学とて人間が幸せになるためのツールで無碍にすることその人にとっての損失だと言ってもよいかもしれません。三角関数だってお付き合いしなければいい人です(笑)

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このページは、が2006年9月 8日 23:04に書いたブログ記事です。

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